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      <title>巡り～な毎日</title>
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      <description>お気に入りものを紹介、心も体もリフレッシュ</description>
      <language>ja</language>
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         <title>Kの悲劇</title>
         <description>●●

なぜ今、小さい顔がエライのか？

ぼんやりとテレビを見ていた。

一応&quot;美人&quot;で通っている歌手のKが歌ってる。

肌が抜けるほど白く口もとが目立ってキレイ。

なるほどネ、美人だワ……なんて言ったりしていたが、次の瞬間、アラッと思う。

Kのとなりに、ブレイクしはじめる安室奈美恵が映ったのだった。

何と言っても、安室は&quot;小顔&quot;のシンボルとも言われる、顔の小ささ。

Kの顔は、お気の毒にも2倍くらいに見えてしまう。

顔だけ大人と子供、見れば見るほどその差は広がり、小さい顔ってこんなに美しいの？&quot;の荘然自失。

よりによって安室と一緒に歌わなければならない&quot;ヘンな企画&quot;がなければ、こんな悲劇は起こらずにすんだものを。

Kの顔の大きさはもう決定的で、彼女が長年保ってきた&quot;美人歌手&quot;のイメージはこの瞬間こっぱみじんとなった。

&quot;小さい顔になりたい願望&quot;は何も今に始まったわけではないが、それが今ほど深刻に語られることもなかった。

数年前まで「今の子は本当に手脚が長いわねエ」などとただ感心するだけの対象だった子供が、今堂々の&quot;小顔人種&quot;として大勢力になりつつあるためだろう。

ともかく今、平均的面積が知らぬ間に10平方センチメートルほど縮まっている。

大きな顔を放っておいちゃいけない時代なのだ。


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         <pubDate>Fri, 06 Jan 2012 19:20:50 +0900</pubDate>
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         <title>背中に&quot;後光&quot;を！</title>
         <description>●●

まず、手はじめに自分の部屋をきれいにすること。

雰囲気は、体の前にくっつけて歩くものじゃない、いやでも後ろからついてくるもの。

絵に描いたオーラも、いわゆる&quot;後光&quot;に似ている。

だからというわけではないが、&quot;雰囲気&quot;とは結局のところ&quot;背景&quot;なのではないかと思うのだ。

背景といっても、親の地位や出身校の話じゃない。

しかし、いかなる教育や躾を受け、どういった暮らしぶりで、どんな主義主張をもっているか、そういうことをすべてひっくるめての背景ということ。

女性の場合、部屋がいかにセンスよく清潔であるかとか、どういう下着をつけているとか、どんな女友達がいるとか、そういうことがすべて雰囲気に出てしまう。

その中で、際立って奥ゆきのある美しい生活をしてる人の雰囲気だけが、へール・ポップすい星のように尾を引き、背中にくっついてくるのである。

まず手はじめに、部屋のおそうじや模様がえをしてみよう。

その翌朝、ハッと気づくはずだ。

自分の後ろにキレイがついてきて、それが光ってることに。

これもやっぱり、キレイに対する自信なのだ。

目には見えなくても、自分を取りまく空気のすべてが清潔であるという。

それを体の前にこれみよがしにくっつけて歩くのじゃなく、後ろに仄めかせる。

これが正しい雰囲気のつくり方である。</description>
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         <pubDate>Mon, 05 Dec 2011 19:20:37 +0900</pubDate>
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         <title>携帯用オーラ</title>
         <description>メイクを&quot;自信&quot;に転換させて出かけよう。

たとえばティールームでお茶を飲んでいる姿が小さなオーラを放つ女性って、けっこういる。

ところがアイドルのプロモーションビデオの中に同じシーンがBGMつきで流れていても、そこにはまずオーラが見えない。

雰囲気やオーラは、つくってつくれるものじゃないことは明らかだが、人に見せようと頑張ったとたん、よけい効力を失ってしまうことを覚えておきたい。

太いアイラインは、ある種のオーラを生む。

とことん長くしたまつ毛や、水面のようにキラキラと光る唇も、小さなオーラを放つことはできるのだろう。

けれども朝、それらのメイクをたっぷりの意図をもって行い、一日中そのラインやまつ毛や唇の光を意識しつづけていたら、たぶんオーラは出てこない。

それらがメイクであることを日中忘れてしまうことが大切なのだ。

メイクではなく自分がキレイと思わなきゃ――メイクはオーラを生み出す小道具くらいに割り切ること。

その結果生まれた&quot;キレイ&quot;への自信をもって出かけること。

オーラは自信にこそ宿るのだから。

自身だけじゃない。

誇りとか幸福感とか高揚感、時には悩み事などにも雰囲気は宿るという。

つまり、人間のあらゆる&quot;強い意識&quot;こそが、雰囲気の源泉なのかもしれない。


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         <pubDate>Fri, 04 Nov 2011 19:20:21 +0900</pubDate>
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         <title>はずす、ひねる　２</title>
         <description>
メイクや服を媒介に、見る人の興味を&quot;自分自身&quot;に引っぱるためのコツである。

いいかえれば、上手にはずし、きれいにひねられるこの人って、一体どんな女性なのだろうと相手に思わせることが、雰囲気美人の絶対条件。

わかりやすいファッションに雰囲気は宿らない。

わかりやすい女に、雰囲気は放てないのである。

だからひとまず、こうしよう。

全身まるごとコンサバとか、&quot;名前&quot;がついてしまうスタイルをやめるのだ。

それが&quot;はずし&quot;の第一歩である。
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         <pubDate>Wed, 05 Oct 2011 19:20:09 +0900</pubDate>
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         <title>はずす、ひねる</title>
         <description>
はずしとひねりで、決まりすぎを避けること。

とてもカジュアルでシンプルな装いに、パステルを目もとだけに効かせたスッキリメイク、そこに黒のケリーバッグとショパールの時計を組み合わせた女性がいて、彼女には明らかに雰囲気が漂っていた。

一方、メイクは白と黒と光をふんだんに使った猫系モードメイクと今風のボリュームヘア、そこへ、思い切り禁欲的なスーツを合わせていた女性も、遠くから雰囲気をとばしていた。

俗にいうところの&quot;決めすぎ&quot;は、雰囲気づくりの敵であるとこの時思った。

トレンドの&quot;時代性&quot;をチグバグにするとたちまち野暮になるけど、ひとつのテーマであまりに手ぬかりなく決めこむと、その人自身が際立たないことだけは確か。

むしろ、決まりすぎないように、最後のところではずすかひねるのです。
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         <pubDate>Fri, 09 Sep 2011 19:19:30 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>行政・企業の役割　３</title>
         <description>都心をどうするかという問題に対して、市民の手で広場づくりをし、提案活動をするというように、一人ひとりの市民が関わる方法を見つけ出すきっかけをつくりました。


今日のウォーターロント開発の動きを都市の再生につなげるためには、行政や企業藤手なプランを作ってみせたり、それに対して市民が賛成・反対の議論をします。


という構図ではなく、市民が水辺の主人公になり、市民が自ら水辺に立って、そこをどうするかを構想することから始める必要があります。


行政や企業は、その夢を実現させる支援隊の役割を演じるとき、最も水辺が輝いてくるものと思います。

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         <pubDate>Thu, 18 Aug 2011 13:19:10 +0900</pubDate>
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         <title>住居の向き</title>
         <description><![CDATA[家を建てるときにまず考えるのは日当たりでしょう。


これにより住み心地の快適さが決定される。


間取りは敷地に関係し、配置は日照に影響する。


居間や老人室を、日当たりのよい南側に配するのは常識で、それゆえ住居は東西に長くなり、南向きに建てられるのが普通です。


しかしこれは敷地が広いときで、南北に細長い敷地だったり、周囲が立て込んだ狭いところでは、制約されてむずかしくなります。


太陽は夏と冬では、日の出の方角、高さが違うので、これを知っておくことが肝心です。


正午の太陽の高さを、日南中太陽高度といい、明石市では南側の窓に差し込む太陽の角度は、夏至で78度80分、冬至では31度90分です。


日の出は夏には東から30度北寄り、冬は30度南寄りです。


日の入りは、反対に夏は西から30度北寄りです。


<a href="http://nuqmo.com/" target="_blank">ソファー ベッド</a>に寝転がってぬくぬくしたいものです。

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         <link>http://emdbs.com/2011/07/post_43.html</link>
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         <pubDate>Fri, 29 Jul 2011 14:12:09 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>行政・企業の役割　２</title>
         <description>都市の水辺を魅力的なちころにつくりかえるということは、確かに衰退する都市再生のひとつの有効な手段には違いない。


しかし、都市の魅力は、市民の動きによってかもし出されるものであり、さらにつきることのない都市への関心を呼び起こすのは、市民の創意がつきることがない時です。


中之島を守る市民の運動や旧中之島まつり」の若者パワーによって何が変わったかといえば、それは景観面だけではなく、大都市のまん中に、これまでほとんど交わる機会のなかった人と人、グ牛プとグ牛プが交流のチャンスをもち、そこから新しい文化・創造のエネルギーが湧いてきたということでした。

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         <pubDate>Mon, 18 Jul 2011 13:18:55 +0900</pubDate>
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         <title>行政・企業の役割　１</title>
         <description>大阪でも、行政の施策に少しずつ変化が見え始めています。


市民の提案が実を結んで遊覧船「水都号」が就航したのを皮切りに、古くて放置されたままであった橋が修復工事の手当てを受けているし、中之島では川沿いの遊歩道づくりが進んでいます。


汚れた水路を単純に埋め立てるだけではなく、親水公園として水の流れる公園づくりを試みているケースもあります。


さて、ウォーターフロント開発を語ることがある種のファッションのように感じられる昨今の風潮について、今一度、中之島２０年の軌跡を通じてみる時、どう評価してよいのでしょうか。
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         <pubDate>Sat, 18 Jun 2011 13:18:38 +0900</pubDate>
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         <title>異界との通路</title>
         <description><![CDATA[辻というのは道祖神が祀られることからもわかるように、異界との通路であり、神霊の往来する場所です。


しかも、黄昏時は超自然的な力が最も強く働くとされる時間です。


すなわち、夕方の辻とは霊界に半ば突き出した空間ということができよう。


それゆえ、そこに立てば巫女でなくとも神の託宣を得ることができるのです。


ただし、それは通りがかった人の言葉という、ひどく謎めいたかたちではあるが。


『大鏡』には藤原道長の母、時姫が夕占をしたことが述べられています。


それによると、二条の大通りで夕占をしていると、白髪の老婆が立ち止まり、「あなたは夕占をしているのではありませんか。それでしたら、何事も思うようにかない、この二条の大通りのように栄えるでしょう」と言ったといいます。


結果からみれば大当たりともいえ、『大鏡』の作者も、この老婆は人ではなく神仏であろうとしているが、少々できすぎた話です。


大当たりと言えば、ここも良かったですよ＾＾<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>！！
]]></description>
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         <pubDate>Thu, 09 Jun 2011 13:26:23 +0900</pubDate>
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         <title>珍しいかも　その５</title>
         <description>たまたまアルザスに生まれ、たまたま自分の母親とあまり仲良くなれず、たまたま料理にまったく興味を持てず、たまたま日本人と結婚し、たまたまフランス人とウマが合わぬ彼女がフランス女らしくないなどと、どうしていうことができるでしょうか。


こんなに可愛い子を「オバサン扱い」するなど、まったく言語道断。


そんな男共のいる国へなぞ、頼まれたって行かんでよろしい。


彼女の失望を十分汲んだ上でなお、私はそう叱咤激励したいのです。
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         <pubDate>Tue, 17 May 2011 13:07:20 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>珍しいかも　その４</title>
         <description>「そう、スタイルだよ、シャーロットのスタイル」


「だって、私、こんなんよ、いつも」と、ますます面食らったシャーロットの頬にはかすかな赤みすら差した。


「まさにその一貫性こそが、スタイルってことなんだよ。さすがフランス人は違うなあと思うよ」


もはや言葉を失う境地に達したシャーロットは、思いのほか、ごく素直にこの褒め言葉を享受したかにみえた。


そして、嬉しそうにはにかむその様子は誰が何といおうと、やはり間違いなく可愛い現役の女のものでした。


それにしても、「現役の女は、絶え間なく褒められることでますますその寿命を延ばす」という私の信念を、このシャーロットに見るという不思議。


いや、よく考えればそれは不思議でもなんでもないのかもしれません。
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         <pubDate>Fri, 15 Apr 2011 13:07:08 +0900</pubDate>
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         <title>珍しいかも　その３</title>
         <description>家の中では靴を脱ぎ、Aが出張で留守にしている時は残り物の冷やご飯をキムチで食べ、そして私たちの結婚の記念にと、日本からわざわざ買ってきた、めでたくも「鶴」の刺繍入りのアルバムに写真を貼ってプレゼントしてくれたシャーロット。


「フランス人とはどうもウマが合わない」といい、実際フランス人の友だちもそれほど多くなさそうだが、かといって彼女に何か日本人ぽいところがあるかと聞かれたら、「全然ない」と私は答えるだろう。


「君には君なりの確固としたスタイルがあると思う」久しぶりに再会した時、何を思ったか、シャーロットに向かって私の夫が唐突にそんなことをつぶやいた。


「スタイル？」ちゃらちゃらとしたお洒落なんて、ふん、とでも思っているかのように、いつ会っても同じような地味な黒ずくめのシャーロットは、彼の台詞をさすがに意外と思ったのかそう聞き返しました。</description>
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         <pubDate>Thu, 17 Mar 2011 13:06:57 +0900</pubDate>
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         <title>珍しいかも　その２</title>
         <description>たとえば夫婦4人で食事をするという機会が時々あったが、そんな時私の夫とシルヴィi、つまり西洋人同士の間でも、確かにフランス式の挨拶はないようだった。


そういうことには気づかずに、私の夫がごく条件反射的にその挨拶を彼女にしかければ、無論、彼女は本場の女らしくきちんとそれに答えるのだが、その問いと答えの間にはいつも一瞬の間があります。


そして彼女の方からしかけることはかつて一度もなかったのです。


細かいことだが、そんなことが気になるものです。</description>
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         <pubDate>Tue, 15 Feb 2011 13:06:44 +0900</pubDate>
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         <title>珍しいかも　その１</title>
         <description>知人のシャーロット、フランス人のくせに「フランス式の挨拶」をしません。


つまり、親しい友人同士だったら必ず「チュッチュッ」と互いの頬を擦り寄せてキスするみたいな音を出す、あの挨拶のことです。


いや、それどころか、握手もしないし、かといってお辞儀をするわけでもない。


そんなわけで、毎回彼女との別れ際、私はなんとなく手持ちぶさたなような間が持たないような感覚に陥るのです。


相手の私が日本人だからしないのか、といえば、必ずしもそうばかりともいえません。</description>
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         <pubDate>Mon, 17 Jan 2011 13:06:30 +0900</pubDate>
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